ヘドロ

妄想と暴論

人間は村社会でなく犬社会

 そういうモノとして決めた対象にはそういう扱いをして良いということである。

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全く同じ言葉でも誰が言ったかによってその受け止め方は変わる。


例えば、
「天ぷらとアイスを同時に食べると体に良い」
と科学者が言えばへぇーそうなんだとなるし
「天ぷらとアイスを同時に食べると体に良い」
と31歳無職が言えばうわ変なこと言ってるそれは止めておこうとなる。

これは健康に関することと
それについて知識のありそうな科学者が結びつくことで
情報の信頼性が上がっていると言える。

次に
「天ぷらとアイスを同時に食べると体に良いよ」
と仲の良い友達が言えば試してみようかなとなるし
「天ぷらとアイスを同時に食べると体に良いよ」
と嫌いな奴が言えばそれは絶対止めておこうとなる。

これはたとえ健康に関する知識がなくとも、
仲の良い友達であることによってその情報をポジティブに捉えることが可能になり
結果として情報の信頼性が上がっていると言える。

ではこれはどうだろう。
「天ぷらとアイスを同時に食べると体に良い」と嫌いな科学者が言っている場合である。
大抵の人間はこの情報をネガティブに捉える。
なぜなら嫌いな人間が言っているからだ。

それが実際に知識のある科学者であってもだ。
嫌いだから。嫌いはそれを上回る。
凄く良いものであっても私はやらない、そんなのどうせ嘘でしょ、
科学ってなんか意味あるの?気持ち悪い、となる。

これが好きな科学者なら答えは正反対だ。
へぇ面白いな。試してみよう。こういうこと調べるから科学者の人って面白い。となる。

全く同じ言葉であってもである。
発声した言葉としてでなく、こういうテキスト媒体で書かれた文章でも同じ結果だろう。
大事なのは"誰が"それをしたかなのだから。

好きだから好きな人に好きなリアクション。
嫌いだから嫌いな人に嫌いなリアクション。
実際に良いかどうかではなく、好きだから。嫌いだから。

これが冒頭に言った
「そういうモノとして決めた対象はそういう扱いをしても良い」ということである。
大抵の人間は、実際がどうかなんて、どうだっていいのだ。


犬の序列に似ている。
多くの種類の犬は集団の中で自分の立ち位置を把握する。
上のものには媚び、下のものには威嚇して攻撃する。
これ以上の理由は必要ない。あるならそれは相手が下だからだ。自分の決めた中で。
上に媚びるのも自分の中で決めた序列で相手が上だからだ。

決める理由は、良いものを持ってるとか、気に入るところがあるとか、
生理的に気に入らないとか、なんとなくムカつくとか、そういうことである。

そうして決めた対象の評価はもう覆らない。
なんとなくムカつくから相手の発言や行動を評価しなくていい。存在を無視していい。攻撃をしていい。
なんか優しいから相手の発言を行動を評価する。素敵だなと思う。もっと一緒にいたい。


私が言いたいのは、
これが良いこととか、悪いこととかそういうことでなく、
ただこれはそういうものであるという所である。
人間はそういう動物であるという確認である。

人間は社会性動物である。
ずっと集団で暮らしてきた。
分からないことだってたくさんあった。
その中で信じられるのは信じられる仲間である。
不要なのは異端な存在である。
実際に正しいものであってもそれが集団の生活を脅かすものであればそれは排他対象である。
そうして長い間その経験を積み重ねて
こういう考え方を身に付けたものが多いのだろうと想像している。


よく人間社会は村社会に例えられる。
横の繋がり強く、
排他的で、
長がいてそれが絶対である。

今は村でなく、大企業のような大きな集団でさえそう例えられることがある。
人の循環がなく長期間固定化された集団はやはりそうなりやすいものなのだろう。

けれど私は村社会でなく今は大抵が犬社会であると思う。
今は絶対的な長もそうは居ない。
個人が勝手に序列を決め、その自分で決めた序列通りに行動する。
村に相当する集団はないのだ。
長がおらず、ひたすら人がまばらに行動している。
それを制限するような長にあたる人間がいなければ、これはもう犬と同じであると言えると思うのだ。

もちろん全てが全てではないが、多くはそうであると感じている。
「そういうモノとして決めた対象はそういう扱いをしても良い」。
これが行動原理である。




ちなみに、天ぷらとアイスを同時に食べるのはあまり良いとは言えない。
暖かいものと冷たいものを同時に食べると胃腸に負担が掛かるためである。

何故この例えにしたかと言えば「未知の情報っぽいもの」を出したかったからだ。
つまり天ぷらとアイスはどうでもよくて、
伝えたいのは事前によく分からない情報が出された時にどういう反応を示すかということである。

それが通じれば「深夜にスクワットするのは身体に悪い」とか
「近くで野生のクマが出てきたみたいだからこっちに逃げた方がいいと思う」でもなんでもいい。これは今全部適当に考えた。
実際は多少知られている情報でも構わない。何故なら行動原理がそれを上回るから。

どんな情報であっても、
好きな人が発したものは肯定的に捉えられるし、
嫌いな人が発したものは否定的に捉えられるというそれだけの話である。