ヘドロ

妄想と暴論

簡単なスラングは序列を決めるのにちょうどいい

昔で言えばDQN
やがて草食系や肉食系などを経て今では陽キャに陰キャ、血液型が△型はどうこう、
本来は障害名であるアスペに発達障害にと対象を括ったスラングは毎年のように作られていく。
どれも大抵当初の意味とは段々と逸れて、
個々に細かい解釈が異なってくるのが常であるが大事なのはそこではない。

これは序列を決めるのに便利なのである。

人間の大半は相手を見て序列を決める。
相手がどういう人間かを知りたがる。情報を手に入れたがる。
そして得た情報を基に相手に対する自分の行動を決める。
敬うか蔑むか。肯定するか否定するか。正しいかどうかはさほど重要ではない。

しかしいちいち相手の情報を知るのは面倒くさいものである。
相手と話をしなければいけないし、行動を見なければいけないし、周囲との情報の差異も修正する必要がある。
これらを行ってようやく手に入る1人分の情報である。
またインターネット社会においては観察出来る相手の行動が限られてくる。限られる上に対象の数が多い。
そうなるといちいち相手の行動を見て、などとしていると時間がいくらあっても足りない。

そこで相手に簡単な序列をつけることが求められてくる。

この人はDQNである。この人は草食系である。この人はアスペである。
こう括ってしまえば相手がどういう人物で、こういう考え方で、などといちいち類推する必要はなく
馬鹿なんだな、嫌いだな、好きだなと本来やりたかった相手への序列付けを簡単に行うことが出来る。
相手を知るために使う時間を最小限に抑えられるわけだ。
お手軽に相手はこういう人間だと決めてしまえるのだ。

こうなってくると1人の人間と会話をすることは少なく、
その作られた概念と対話するような感じになっていく。
その概念は実は具体的にはこうで、皆はこう思ってるかもしれないけどこういう所がある。なんてことの繰り返しだ。

そうしてカテゴライズされた概念は形を変えてある程度のふわふわした形で収まる。
そのカテゴライズに良いイメージがつけばそれに該当している人は受け入れることが多くなり
反対に悪いイメージがつけば該当している人によって修正が行われることが多い。

と言ってもその概念の何を受け入れているか、何が受け入れ難いのかは微妙に異なる。皆1人の人間だからだ。
だから細かい所まで調整しようとすると矛盾が生じる。新たな問題になる。
なので最終的にはふわふわした形に収まる。それでも問題は無い。勝手に個々で解釈してしまえばいいのだから。
大事なのはある程度相手を決め付ける為の情報が欲しいという点である。

そしてふわふわしているが故に次第に使われなくなってくる。矛盾を抱えきれる量には限界がある。
単純に飽きが来るというのもあると思う。
いずれにせよ、そうしたらまた新しい言葉を作ればいいだけだ。
中身が似通っていても、言葉さえ新しければそれは使い物になる可能性がある。

あとは幾つでも言葉を作って、世間に受け入れられる概念を作ってしまえばいい。
そうすれば多くの人が助かる。多くの人間は相手を簡単に決め付ける言葉を欲しがっているからだ。
そこまでして相手を決めて自身の序列を確認したいのである。
自分の行動に色をつけたいのである。


例えばの話だが、私たちは虫一匹一匹の顔の違いは分からない。
人間以外の哺乳類でさえほぼ見分けはつかない。
どれも似たような顔に見える。

ただ虫に対しては何を好むのかを知っている。
どんな場所にいるのかを知っている。
羽を奪ってしまえば跳べなくなることを知っている。

同じように、人間に対しても今は違いをさほど知る必要は無いのかもしれない。
勝手にそうと決めてしまえば、それでいいのだから。
こういう概念にはこうしておけばいいという結果のパターンさえ分かっていれば、それでいいのだ。